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ぼくのボールが君に届けば
伊集院静
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飛行機が上昇し水平飛行に入ると、飲み物のサービスがはじまった。
吉乃は前方の座席の袋に入っていた機内誌を手にした。頁を捲っていくと、右頁一杯にマツイの顔があらわれた。あの笑顔である。
――本当に陽によく似ている。
若者の笑顔が孫の笑顔と重なり、それが学舎で見た向日葵の花に重なった。
――そうね、二人ともまぶしい笑い方をしているんだわ。
吉乃はそう呟いてから、自分の気持ちが晴々としているのに気付いた。吉乃はとうとう最後まであの母親に謝ることができなかった。それでも気持ちが爽かになっていた。
彼女はもう一度マツイの写真を見直した。
「あらっ、この子にはえくぼがあるのね」
十ヵ月余り、この若者の笑顔を見続けていたのに、えくぼに気付かなかった。そう言えば陽の頬にも可愛いえくぼがあった。
「そうか、えくぼが似てたんだわ」
吉乃が声を上げると、隣りの客が怪訝そうな表情で見返した。
吉乃は写真の中の大きなえくぼを指先で撫でながら、ヒデキさんのえくぼ……、アキラチャンのえくぼ……、と胸の中で呟いていた。
その時、吉乃の指が静止した。
陽一にも、慎次郎にもえくぼはなかった。吉乃にもえくぼはない。
――このえくぼをアキラチャンは誰から貰ったの?
〜松井秀喜選手が実名で登場する短編「えくぼ」より抜粋〜 |
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